越路吹雪「一寸おたずねします」

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北海道新聞加藤登紀子が浅川マキへの追悼を寄せていたけど、デビュー当初シャンソン界で孤立していた加藤を舞台のそでにまで来て浅川が力づけてくれたというエピソード(ちなみに浅川が寺山に見いだされるもっと前の話)を読んで、日本のシャンソン界の閉塞した感じって昨日今日の話じゃないんだなと思った。怖いらしいよ、シャンソン界。

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77年。セルフカバーアルバム(オリジナルもあるのかも)。新録ものというとやたらゴージャスだったりやぼったかったりしがちな感じがあるが、当時のニューミュージックっぽいこざっぱりしたフットライトなアレンジで若々しくしたてており出来はいい。晩年の越路の枯れた感じ、音程の自由さも妙味として生かしてあり風格がありますね。ところで越路吹雪って日本のシャンソン界のポジションでいうとどういう立ち位置だったのかね?一つ独立した形で越路吹雪という巨頭だったのだろうか?なんというかエンターテナーとしての越路吹雪と日本のシャンソン界のそれとを比べた時に大きな隔たりを禁じ得ないし、世間的な認知と明らかに違うところにシャンソン界の鉄則みたいのが存在しているらしいので(未だに加藤登紀子なんかはアウェーらしい)そう考えると越路はシャンソン界的にいえば「越路解釈の越路流シャンソン」でしかないのだろうか?それとも日本シャンソンの功労者として礎に刻まれているのかしら?いや、本来はそんなことどーでもいいことなのだけど、歌舞伎とかでいう本家とか宗家といか、組織とか組合みたいのが日本シャンソン界には脈々とあるらしいですから。怖いですよ。