ガンと闘ったコーちゃんの120日

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越路吹雪が毎年欠かさずガン検診を受けていたにもかかわらず、亡くなる前年にだけ多忙のため検診をおこたり、その結果手遅れになったというのは有名な話だが、その辺のことが事細かく書かれていてとても勉強になった。まず最初に「舞台をやりたい」ということで宇野重吉の門を叩き「古風なコメディ」を上演するというくだり。稽古は苦難を極め、「大スターが苦労する姿を周りに見せるのはいたたまれない」という宇野の配慮で稽古中は関係者を入れなかったという。間が取れないなど稽古中何度となく泣きだしたというくらいだから、この稽古が越路にとってどれだけストレスフルだったかがわかる。またこの時期に越路は「胃が痛い」「胃がコボコボいう」「ゲップが出る」などの胃症状を周囲にこぼしていたそうだが、越路は舞台やリサイタルが近づくといつもそのようなことを言っており「いつものが始まった」程度にしか周りは思っていなかった。夫の内藤が異変を感じ、検診を受けさせると「悪性と疑わしい腫瘍」が見つかる。舞台公演の終了と共に入院。開腹すると胃の幽門付近に鶏卵大の腫瘍(この腫瘍が幽門を塞ぐことによってゲップが出ていた)があり、腫瘍は既に腹膜まで転移している状態、進行度IVの末期状態だった。
まず、越路のガンが恐るべきスピードで進行した理由の一つは多忙な舞台稽古のストレスフルな状態によることが大きいだろう。その他に越路の親兄弟はみんなガンで亡くなっておりガンになりやすい家系であったそうだ(そのために毎年のガン検診はかかさなかった)。ヘビースモーカーという点は理由の一つではあってもそれほど重大ではない様な気がする。
結局、手術は胃の腫瘍と胃の2/3を取り除くまでにとどまり、転移した腫瘍は断念せざるをえない状態であった。抗ガン治療にいちるの望みを繋ぐ。腫瘍は悪性、余命半年と内藤に告げる。そして、本人への告知の問題。告知せず
退院した越路は岩谷なんかを引き連れ買い物行脚していると草笛光子にあう。握手を求めてきた越路の手が燃える様に熱く、草笛は「まぁ」と声を漏らしてしまったという。三度目の入院、医師はもう手の施しようがないという。内藤は無理を承知で退院させ自宅で漢方療法を試みる。その頃見舞いに訪れた宇野重吉が「お腹が痛いの」とさすっている越路のお腹が腹水でパンパンになっているのを見て「これはもうダメだ」と思ったという。こうしてみるといささか残酷なようだが、末期ガンの越路が余命に自由を許されていたこと、全快したら何をするんだと希望に燃えていたことに救われた気がする。
この本に登場する医師たちは多少非情な書かれかた(もしくは読む側にそう思わせる)下りがあるかもしれないが、結果として越路のQOLを最大限に尊重した(もしくはそう選択していた)という点に置いてはこれ以上ない名医ぞろいとしか言いようがない。仮に越路が徹底した抗ガン治療、延命治療をしていたら、スパゲティ症候群よろしく死ぬ前に廃人と化していただろうから。