節目の時か

2003年からだぐだぐ続けてきた本サイト無料期間の終了に基づき来月末で一旦終了いたしますよ。
七月にはアナログ放送も終わるし、docomomovaも終わる。
いろいろ終わるわね。ろくに更新してなかたし、別にいいんだけど。
振りかえればみうらじゅん前田日明オフレコトークで事務所から削除依頼来たり、あとなにかしら?忘れたけど過去ログでばっさり消えてるあたりはなにかしらあったはずよ。あったから消したのよ。なかったらわざわざ消さないわよ。一日にアクセス20程度のサイトだったのにね。けっこう苦情ってくるのよ。面白いでしょ?しかも、のせてから2~3年経ってから忘れた頃に来るのよ。寝耳に水よね。どういうことなのかしら?




10年続かなかったけどね。
最近渡辺美里をけっこう聞き直して居るんだけど、特にラビンユーとリボンね。でとりわけ小室作品聞き直しているのよ。で、あらためて感じることは、声にエコーかけすぎだよね。特にラビンユーの収録曲はひどい。「teenage walk」とか声の原型留めて無くない?なにか欠陥を隠すためのようなきついエコーっぷりですよ。実際、唄は上手くないし、強いて言えば和田アキ子クラスの音痴ではある。「嵐が丘」とかたぶん、わざとああいうてんぱった歌い方させているんだろうけど、けっこうひどいよね。冷静に。でもね、音痴はいいのよ。赦す。渡辺美里が音痴かどうかなんて問題にならない。エコーの方が問題。歌の下手なアイドルよりエコー強いってどういうことよ?つーかさ、渡辺美里って「声」が売りだった人でしょ?こんなに声をデコレートしてどうする。デコレートしないと商品にならなかったって、結局そういうこと?そうなの?そうなのか。
で、改めて80年代小室先生と美里を通じて向き合ってみたりするわけです。実際、当時そんなに小室作品と意識して聞いてなかった曲も多いし、トータルのプロデュース(アレンジ)の主導は大村雅朗さんにあるわけで、そういう意味では実にソニーっぽい音。でさ、やっぱりさ、この頃の小室のフレーズ、というかアレンジの持ち味って、短音の連射なわけじゃないですか。モールス信号みたいの。ほとんどそれですよね。もうほんと、最高。あの高速連射あるだけでわらけてくる。一貫している。いかに短音をリズミカルに連射するかに命かけている。小室サウンドのキモってここでしょ?逆に言えばここしかないっしょ?短音の連射。まさか渡辺美里でここまでそれを駆使しているとは思わなかった。教授が「十年がかりでリスナーの耳を洗脳した」と全盛期の小室に言ったそのキモはここだと私はおもっているんだけど、それは誤解?いや、いい。教授と同じ発想なんてしていてもしょうがない。スコラとか言ってる場合じゃないのよ。つーか、曲の骨格を違法建築なみに抜いていった姉歯物件のような90年代の小室のCOOLっぷりにくらべると、80年代の小室はもっとシンプルですっかすかな感じがする。途上って感じがする。みんな90年代小室を退化、劣化というし、小室自身もそれを認めた様な発言をしていたけど、シーケンサーに関してはそうとう進化していたと私は思って居るんだけど。もう、ほんとそんなことどーでもいいよね。小室のシーケンサーがどうとか、ほんとにどうでもいい。美里のエコーがきついとかどーでもいい。短音の連射とか、どーでもいいですよ。
岡村楽曲は私どうもピンと来ないの。ごめんね。バカ耳なんです。