TKプロデュース復帰作に思う

まず、AAAという素材は置いといて。

両A面のこの新曲、一聴した印象は鈴木あみとグローブの未発表曲みたいな感じ。だけど圧倒的に違うのはそのメロの骨格。とても丹念に作られている。ちょうど90年代の小室のメソッドを80年代の丹念さで仕立てた様な感じ。とてもまじめに作られているのがわかる(それが功を奏しているか否かは後述する)。小室は90年代に徹底して自身の音楽を合理化し簡略化していった人だ。それは豪勢な違法建築にも通ずる。主柱がしっかりしていればあとの柱全廃しても実質この家は建つみたいな合理化、簡略が小室の量産の本柱だったわけだけど、その頃の小室はそれ以外に歪みや起爆力を備え持っていた。これが時代を掴んだ人間の冴えや錬金術なのかはわからないが兎に角ホントに恐ろしい程柱を抜いて装丁だけであつらえたような曲を乱発できた。たぶん、ここまで自分の音楽性を合理化できた音楽家はいない、というか、音楽をそういうベクトルで突き詰めていった人を私は他に知らない。商業主義的、似た様な曲ばかり、そもそも詰まらない…そういった小室楽曲の評価全てに私は同意するが、「行きすぎた合理化と簡略」という一点においてはもはや狂気であり、尊敬すらしている。ゆえに私は小室楽曲が簡略化され柱が抜かれる度に熱狂し小室COOOLと賞賛していたわけで90年代の小室を経たらもはや80年代の小室は野暮ったすぎて聞いていられない状態に陥った。もはや異形となった小室の音楽は私にとってはシーケンスだけのものになり、歌さえ不要になっていった。そして未だに当時と同じ感触で付き合って聞いているわけだ。そういった小室音楽の変遷を経た耳で聞く2010年の小室モデルはどうなのかというと、野暮野暮なのである。わざわざあそこまで突き詰めて簡略化(あえて洗練といわせてもらおう!)したものを元に戻してどーする。どーするですよ!90年代の小室メソッドを丹念に作り上げてどーしますか!これはもう、強度だけはものすごいが住みづらい家みたいな感じ。守り過ぎもいいとこ。私はもっと未来が見たいのよ小室さん。でも結局、そういった変遷の上で行き詰まって曲が書けなくなってしまったというのも事実なのかもしれないけれども。小室さんは行きつくところまで行ってしまったのだろうか?つーか、従来の小室ファンにとってはこの傾向はウエルカムなのか?そんな退化わたしは許しませんぞ!断じて!柱抜け!

この間のLIFEで坂本龍一がスコラだなんだといってやたら基本(クラッシック)への回帰を謳うのは何故か?という問いに「坂本が前衛の人だから」という、「基本を知らない人に前衛を聞かせても前衛の凄さを理解してもらえないから」という身も蓋もない結論に落ち着いて笑った。