竹山と荻上チキのこと

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Digで竹山が荻上チキにかみついた件、竹山の言い分もごもっともなのだと思うけど、荻上チキも被害者なんじゃないかね。なんせあの日はテーマ設定(「使い捨てされる芸人たち。お笑い文化を考える」)というのも微妙だった上にお笑い評論家らしいコメンテーター、電話で出たお笑い構成作家らゲスト出演者が総じてバカばっかりという悲劇的な日だったのだから。それらバカたちがのたまう底の浅い根拠のない論理に荻上キチが付き合わされたことで竹山に同罪視されたのだとしたら災難もいいとこだ。あくまで荻上チキは第三者的に俯瞰から話を掘り下げていたに過ぎず、さも知った様なわかっている様な口調で底の浅い自説をまき散らしていたのはその極めて悪質なバカゲストたちであったわけだから。それをチキがきちんと回収して纏められなかった(纏められようもないが)ことへの苦言なのかもしれないが、それをチキにやれというのは無理難題もいいところだろう。それに竹山の言い分も感情的でテーマとはややずれていると思わざるを得ない(竹山は芸人がいかにたくさんのプロセスを経てテレビに出ているかを抜きにして芸人は語れないとまず言っており、その事を語らずにこのテーマを語るのは片手落ちだと言っていた。ゲスト評論家もお笑いを知らなすぎる、誰だあいつ(←これには同意)と。)。だがあんなに底の浅い内容を結果として放送してしまった責任はあるだろうし、誰でも気が付く様な話の矛盾もスルーしてしまっている時点で同罪視されても致し方ない部分もあるのかしらと私もあえて矛盾してみる。どちらにしろ安易にお笑いを語るほど危険な行為はないということだし、そういう意味では放送でお笑いを語るなんて相当なタブー(自爆という意味で)行為だとなむさんでした。

ゲストお笑い評論家は時間が長すぎて要約できないので割愛するが、そのお笑い番組構成作家とチキとの電話でのやり取りを覚えている限り書き出してみる。
まず最初に安易なお笑いが増えたと言うこと→一発芸批判、エ○タ、レッ○カーぺ○ト、あら○き団批判→一発芸芸人の乱立によってお笑いの水準が低下、世間的評価の低下。
最近の若いお笑いは古典の基本をとても研究している
その一例としてはんにゃを大絶賛(その根拠は述べず)
今後求められるお笑いは?今まで見たこともない全く新しいお笑いを見てみたい→抽象的でまったく答えになっていない。わからないならわからないと言えバカ構成作家。「全く新しいお笑い」と前言の「古典尊重」が矛盾していることにも気が付かないのも更に拍車をかけてバカ。この辺に竹山が切れたのなら致し方ないと思う。