杏里の初期三枚

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杏里をよく知らない。「キャッツ・アイ」以降のブレイクしてからのしばらくと、アルバムが馬鹿売れしてはいたが、印象としては薄い90年代は知っているとは言っても端から見ている程度で、のめり込むようなことはなかった。杏里、ほんとによくわからない。のぞき込まないと見えてこない感じがする。妙に気になったので杏里の起源を探索すべく初期の杏里を借りてみた。ファースト「アプリコット・ジャム」78年作。デビュー曲にして後の代表作になる「オリビアを聞きながら」を収録。で、また疑問なのだが、この曲って当時ヒットしたのかな?キャッツ・アイのヒットに伴ってアーカイブ的に再評価されてヒットというか、浸透したのか、それとも尾崎亜美のセルフ・カバー(もしくは、そっちがオリジナル?)によって既に世に知られていたのか。どちらかというと、尾崎亜美のイメージが強い気もするんだけど、一応、初期の杏里というとこの一曲「オリビアを聞きながら」で完了、というか、ここですでにマスターピース的キラーチューンを獲得しているのはラッキーとしか言いようがない。で、この名曲で幕を上げるファーストアルバム、アレンジは全曲、瀬尾一三。プロデュースによって全くアレンジ変えてくる人だけど、このアルバムは大貫妙子の名作「MIGNONNE」のA面みたいなどたどたしたかんじの歌謡ポップス。悪くないです。初々しいシティポップ調アルバムになっていて聞きやすいです。仮に当時の杏里を「アイドル」と定義するとこのアルバムは「そうとう凝ってる」印象を与えるとおもいますが、どっちなのでしょうね?シンガー?声もなんだかユーミンぽい平坦さがあるね。
続くセカンド「フィーリン」79年作。アレンジは全曲鈴木茂。これは完全にシティポップスといっていいでしょう。軽やかに始まる一曲目。歌い方もファーストに比べたらかなり伸びやかになってる。5曲が尾崎亜美作品。時を経て聞く分にはなかなかいいのですが、当時はかなり地味だったんじゃないかなぁこれ。当時の女性シンガーのいいとこを上手くまとめてはいるんだけど。
サード「哀しみの孔雀」これ、持ってたんだけどレンタル落ちでシールがベリっとデータ面ごと剥がれちゃって聞けなくなったので借り直した。鈴木慶一プロデュースとして有名。ずっとこれがファーストだと思っていた。で、このCD、曲のクレジットが全く明記されていない。鈴木慶一プロデュースってのは帯にあるだけで、他一切のクレジットがない。ライダーズの「さよならは夜明けの夢に」なんかも収録されているのでそこそこライダーズ人脈の楽曲も含まれているものと思われるが、クレジットないんじゃ判断しようがない。全二作の雰囲気を踏襲しながら、ライダーズらしいニューウェーブ感ある曲も何曲か含まれている。時期的にいうと「カメラ・万年筆」のあたりの雰囲気。とはいえ続けて聞くとややオーバープロデュースな感も。ジャケットなんか見るに、当時のユーミン紅雀~時のないホテルあたり)意識してるっぽいなぁ。でも結局杏里ってこういう路線じゃなくてリゾートでバブリーな方にいっちゃう(それはユーミンと同じか)ので、けっこうこれは異色作ではありますね。
で、結局杏里ってどうなのかと考えてみると、よくわかりませんでした。この辺のアルバムも杏里がもっと地味な90年代を過ごしていたら再評価されたかもしれませんけど、現状難しいでしょうね。だって、「杏里」ときいて新鮮なイメージもう湧かないでしょ?