長谷川きよし「THIS TIME」

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1985年作。もろ安西水丸チックな安めのジャケット(というより、ジョー・ジャクソンのアレ?)や、寺尾聰の「リフレクションズ」シンドローム覚めやらぬ一曲目などを聞く限り、時代の流れにうまいこと迎合した感じのアルバム。そうだな、85年というともう、安全地帯旋風も全快だし、世はAOR形シティポップ歌謡が吹き荒れてる頃だな。杉山清隆とか。二曲目からの数曲は印象として村下孝蔵だ。かろうじて「夕陽の中に」や代表曲の「別れのサンバ」をセルフカバーすることでアイデンティティ保っているような感じだ。でも、どの曲もなんというか、コテコテだったりハデハデだったりすることもなく、いわゆるユーミンみたく「歌う広告代理店」的な若者のトレンドアイコンやリゾート感が溢れているような事は全くない。淋しいくらい無い。浅川マキの「愛さないの愛せないの」のカバー、これは賛否両論あるでしょうが、85年的な解釈としたら、すばらしい出来だと思いますよ。80年代中盤というと、いわゆる70年代活躍したベテラン勢が一番しんどい時期だったと思うんだけど、探りを入れながら存在証明的に出されたであろう数々の駄作の中の一枚に数えられたとしても、これはよくある「やっちゃった」的なものじゃなく「うまいことやっている」感じのアルバムには仕上がっていると思います。下手に気張らず、あっさり作ってるところがいいです。でも、聞き所は浅川マキのカバーくらいだったりします。