さよならを言わなかった

熊崎隼人は化けることあるのか?
初代TOP5で「ラジオは踏み台」と宣った蓮見がいまやTBSラジオの定番アナになりつつあるし、ラジオが基軸と言っていた小林悠はもう跡形もなかったりで全く予想つかない。蓮見が変わるきっかけだったか分からないけど、相談は踊るにアシで出演時に東京湾深海ででかい地震がおきて、結果として番組が中断し地震の実況を蓮見が一人でやったという経緯があり、あの時だったのではと思っている。
「TOP5を終わらした男」とも揶揄される熊崎はなんでアナやってるのかさえいまいちわからないほど空っぽ。ラジオ出てても、回りに何でもしてもらってる感が凄くて台本や進行がなければ一言も発せないんじゃないかと思うほどアドリブもアレンジもない。棒読み状態。ここ最近のアナでも一番酷いと思うんだけど、はぶさんの後釜番組垂れ流しながら熊崎はどうすれば潰し効くものなのかおせっかいに考えたりしている。たぶんこの枠は教育枠、スキルアップ枠なわけで、資質で選ばれたのではないのは明らか。順当に考えればしのらーとの絡みでスキル上げまくった杉山アナのほうが全然打倒だとおもうし。


和久井映見が朝の連ドラ出てて、工場長みたいな役で出ていて、「下町の太陽」とかあの独特な低めの声で口ずさんでいたりしていて、時は流れたなと思った。
和久井映見って本人が望んだかどうだかは分からないけど最後の女優シンガーだったかもしれない。和久井映見以降も女優でシンガーはいくらでもいたが柴崎コウにしろ藤谷美和子にしろ松たか子にしろ今井美樹にしろ、J-POPと形態が変わらなくなってしまったので女優もの特有のワケあり感や情念要素がどんどん希薄になった。その点、和久井映見はJ-POP的な要素を含みながらも歌世界の情念、ワケあり感は突出して高めに設定されており、そこが大きなセールスに繋がらない要因や歌手としての世間的認知の低さに繋がっていたと思うが、従来の女優もの歌謡としての砦は守っていたように思う。
残念に思うのは和久井映見の女優としての仕事はこういう歌世界とは別の当たり障り無いトレンディドラマだったりで、歌う和久井映見と演じる和久井映見の乖離は開くばかり、はっきりいって女優としての和久井映見にはあまり興味が沸かなかった。あの時代にワケありな役が和久井映見に来るってのも考えものだったかもしれないけれど。たぶん、テレビ女優としての和久井映見のファンと歌手としての和久井映見のファンの層はかなり違っていたのではないかと思う。
そういう和久井映見も後半の数枚のアルバムは素っ気ないJ-POPに成り下がってしまい、女優ものも何もなくなってしまうわけだけど。唯一まだ聞いていないラストアルバムは朗読入りらしいので入手して聞いてみようかしら。

every little thingのメナードのCM曲「RIDE IT OUT」ってリリースはしてない曲なのかね?Fleetwood Macの「Goodbye Baby」みたいな感じの変則的な曲で意外だった。今はこういう感じの曲がメインなのかしら?