患い(繊細)の告白

患っている人が好きなのか、好きな人がたまたま患っているのか。
答えは色々あるけれど結果として深入りするとケガをする顛末がつきものの患い。
患いは遠きにありて思うもの。そんな結論をどうも急ぎがちの昨今みなさんいかが患いとお付き合いされておりますでしょうか。
エスティマとかエルグランドよりちょっと喰らった型落ちハイエースが好きすぎる。
パジェロとかジムニーいくならいっそ軽トラのほうがいい。
だけど実際乗ってみると乗り心地も居住性も問題がつきものだったりする。私たちは普段から温い気候に慣れすぎているのでしょうか。理解が足りないのでしょうか。歩み寄りが足りないのでしょうか。それこそ根本敬級にどっぷりいかないことには何も得る物がないのでしょうか。結局私たちは傍観側から逸脱できないのかしら?
だけどそんなこともなかった。独楽は自然と寄り集まるもの。そりゃ大なり小なりありますが、私も年を経てその辺りの「磁場」を会得しつつあるみたいだ。手応えを感じつつある。というのも、「学級」なり「職場」なりの枠に投入された時にはまず引き合う。そしてその枠が外れた時に一度は切れた暴れ凧の糸を遠くからキャッチするようなことがあった。メルアドを変えられ音信不通の男子から二年ぶりにメールが来たり、患いを告白されたり、そういうことが起こるわけだ。ついさっきも職場の男子に「私は実は自閉症のけがあるのです」と告白された。さすがに「私は致命的な好みの駄ホモです」とは言わなかったがどもりとチックとパニック障害は大いにあると伝えた。患いは伝染し繋がっていくが踏み込みすぎると怪我をするし失うことも多い。その辺のかけひきを今は長い目で(時に忘れながら)打算してみたりする今日この頃です。