加藤登紀子「いく時代かがありまして」

75年作。70年代中盤の小休止というか、中だるみというか。
70年代のアルバムの中で聞いてないのが「帰りたい帰れない」「わたしの中のひとり」とこのアルバムだけになったので聞いてみたけどその前後のアルバムの完成度と比べるとクオリティの低さが際だつ。木森敏之のアレンジがまずダメ。このイージーリスニングみたいなフォークサウンド、店内BGMみたいな弱いアレンジ。耐えられない。森進一のフォークアルバム「湯けむりの町」よりひどい。なんでこんなに意気込みのない音に仕立てたのだろう?すでに音楽的にはフォルクローレやら南米を経由したあとにフォークってことでもう、フォークへの思い入れの無さをけじめとして一枚残しておいたのだろうか?にしてもひどいぞ。レコード会社から企画として持ちかけられたのかしら?75年あたりの一般的フォーク解釈がもうこういう状態だったのだろうか。ジャケも微妙だが音が一番問題あり。死に体としてのフォークサウンドが抑揚なく延々続いていく。つらいなー。ラストがなぜかリリー・マルレーンだしな。日暮れにうたう歌(オリジナルは「色即是空」に収録)のセルフカバーもまたひどい。フォークギターとストリングスアレンジの折り合いの悪さったらない。期待はしてなかったけど及第点にさえ達してないアルバムでちょっと残念だった。