小沢健二「dogs」

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最近相次いである歌をラジオで口ずさんでいるのを聞いた。三橋美智也の「おんな船頭歌」。大橋巨泉伊東四朗が別の番組で、趣旨として「昔の唄は良かったなぁ~」という趣でにわかに歌い出したのがこの歌であった。「うれしがぁ~らあぁ~せえぇ~てぇ」。この歌は猥歌であると共に出オチの歌である。歌の冒頭に歌の全てが集約されている。百恵ちゃんの「ひと夏の経験」と同じく。百恵ちゃんのは具体的で生々しいが、三橋のそれは抽象的であるがゆえに圧倒的なエロスがある。また出来のいい出オチ歌というのはその節だけで全体が成立しうる不思議な圧縮感がある。おんな船頭歌にしろひと夏の経験にしろ冒頭歌えば歌いきったに等しい満足感を得られるのではないかと思う。数あるミッチーのヒット曲の中でも「古城」でもなく「達者でナ」でもなく「星屑の街」でもなくこの「おんな船頭歌」が親しまれるのは圧倒的なエロスと共に冒頭の出オチの圧縮度にあるんじゃないかと思いました。柳亭市馬の「掛取り」の後半がほぼ三橋ネタといい、三橋はそろそろ再燃しても好い時期だと思う。キングもマディソン郡の恋とかピーナッツとかヱヴァとか中山美穂ばっかじゃなく三橋コンテンツ掘り起こしにも精進してほしい。

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この時期になるとオザケンが聞きたくなる。オザケンというとこのファーストの夏っぽいイメージがそもそもあったのだけど、後期の曲に慣れ親しむうちに気分もそっちにシフトしていくようになった。オザケンのファーストは通算で四枚は所有した盤だが、このリニューアルパッケージは初めて。オリジナルが93年でこの盤が97年。わずか四年後に出たことになる。なもんで特に再リマスタリングとかそういった作業が挟まれた形跡はなく、音源的には全く同じ物だ。時期的にはシングル「Buddy/恋しくて」リリースの一週間後。その翌年には現状でのラストシングル「春にして君を想う」をリリース。ポップでアッパーでジャジーでアーバンブルースだったオザケンは終焉を迎える。そもそも復活、再起論みたいなものは嫌いで、だいたい、97年のこの時期のオザケンって売り上げをどんどん落とはじめている時期。ある意味で世間から「見切り」を付けられ始めた頃だ。尾崎豊にしろちあきなおみにしろ「消え入る時」ってのはだいたいそんな頃。死ぬ直前の尾崎豊なんて世間的には既に「過去の人」感かなり濃厚だったじゃない?ちあきなおみは上がるべく上がった気がするけど。世間は尾崎豊を消費つくしたのに死んだら「ベストロッカー尾崎豊」みたいな。日本人の気質として付加価値ってのは重要というか肝なんだろうけど、これに関してはついつい苦言の一つもいいたくなる。尾崎豊が仮にご存命で、岡村ちゃんみたくおイタをくりかえし廃人みたいになっていてろくに歌えないのにステージに上がり歌い続けてもあなたは尾崎豊をきちんと評価できますか?「尾崎豊は解散できない」という名言がどっかにあったけど、森田童子みたく時代の変化とともに蒸発的にいなくなれない不幸というか、論点ずれたな。尾崎豊はもういいや。思い入れ無いし。オザケンの「Eclectic」好きだし。
音楽に対してオーガニックという表現を使うことには懐疑的なのだが、そういう音楽がもしあるとしたらオザケンのファーストはそれにふさわしいものなんじゃないかと思う。オレンジペコーとかじゃなく。でいてそういう空気を持ったオザケンのアルバムはこの一枚のみ。大体の曲が7分くらいあり、13分ある大曲「天使たちのシーン」が生まれたりするのもこのアルバムの空気感ゆえな気がする。ここまで書いてそもそも書きたかったことがなんだったか忘れた。
またジャンルの話に戻るがアシッドジャズってのがなんでアシッドなのか皆目わからないのだけど、どうせなら酸味のきいた親父が歌う歌謡を「アシッド歌謡」とかにしたほうが私には理解しやすい。
そうそう、何だかんだ言ってオザケン小山田圭吾をまだ意識していると思うんだよね。コーネリアスのここ最近のリリースとオザケンのリリースは少なからず似通っている。でいて小山田がどんどん実験的になるとオザケンもそれに呼応したような全く別の音楽を作る。なので小山田が仮にアルバム全曲別々の女の子とデュエットアルバムとか出したら、オザケンも変な手を打ってくるのではないかと思う。オザケンをメジャー回帰させたいなら、まず小山田を先にメジャーに戻すのが先決。
フィリッパーズギターは「グルーブ・チューブ」出た時に世界塔聞いた。恋とマシンガンよりはカメラ!カメラ!カメラ!みたいなアッパーなギターポップが好きだったので活動の全体が未だ見渡せない。そういえばフィリッパーズは解散直前に昭和歌謡のカバー(さだ、アリス、かぐや姫ライン)をやる構想があったらしいよね。小山田のスウィートなボイスで「そうろう流し」とか「妹よ」とか歌われたかと思うと時代を揺るがす何かに成るには十分だったと思うのだが実現しなかったのは無念というかひとえに満里奈を恨むほか仕方がないよね。名倉って。