因果応報・逆フルスロットル

イメージ 1

私は神様とかそーかとかえほばとかあらーとか、そういうのはあまり興味がない。だからそんし柄のトートを「そんしじゃないです、マサ斉藤です」といろんなひとに言い訳しながら「ほんとはそんしなんじゃねーの?」とうしろゆび指されてもへっちゃらなのだ。
(↑ほら、もうこんなきちがいなこといいましたよ。まじ、死にたくなってくるわ。)

占いは肝心な時は外れるので天気予報みたいなもんだ。時の知らせは雄鶏にでもならないと会得できないだろう。でも、妖怪とか悪魔なんかは、やっぱり居る感じがするので私はまだまだ希望は捨てていないんです。
(↑ほら、きちがいの思考回路ってこんなですよ。百回死ねるなら99回すぐ使い切りたい気分。)

私はよく物を拾う。昨日私は途中下車した某都内で図書館に向かうべく歩いていると、定期入れが落ちている。中身がなければそのまま放置するのだが、蹴ってひっくり返すと12月期限のバス定期が見えた。
(みんな、因果応報って信じる?たき火に蛾をくべたら朝日が昇るって本当に思う?)
「またイヤな物に関わった。」
私は内心うんざりし、雨にぬれてぐっしょりの定期入れを拾って、汚れたケースのジャリとか手に付く感覚でたいそうげんなりしながら、それを凝視しる。それは8才の少年のものだった。通学途中に落としたのだろうが、明日の朝あたり無くしたことに気付き、
「もう学校行けないよ。どうしよう。いっそ死のうか。ああ、死のう。もう死のう。母さん一緒に死んでくれますか?」
なんてことを容易に想像できたので、思考を止めてポッケに入れた。ここの図書館は隣の公園に古い都電の車両が置いてある。図書館の脇の雨乞いスペースにはブルーシーターの方々が数名集っている。図書館で用を済ませて帰る時にまた数名のブルーシーターの方とすれ違った。
そんなことより私は交番に行きたかった。ポッケの中のまがものを早く吐きだしてしまいたかった。交番どこ?ポリスマンどこよ?
結局、駅まで戻ってしまった。
交番に入り若い微妙に男前のポリスマンにがっかりしながら、定期入れを机に置き「落とし物です」とさっさと帰ろうとすると当然ながら引き留められる。こういう手続きさえなければもっと拾遺物って戻ると思うのにと思いながら手続きを終えて、最後に「どの辺で拾いました?」と微妙に男前でがっかりのポリスマンに聞かれる私。(私にとっての微妙に男前でがっかりっていうのは一般的にはかっこいいに属するんだと思いますよ。たぶん。)机の地図を見るも、駅の位置さえ掴めないので「駅と図書館の道すがら」ということにしてもらった。時間もついさっきということにした。(実際は一時間は前かも)

ここまで読まれて、もうみなさんお気づきかと思いますが、私は身をもって実験しているのです。かつて笹川良一高見山にぼんぼん太鼓をうたせ町内を巡らせ火の用心させたり「一日一善」と啓蒙し、人間って金ありゃ過去なんてどうにでもできることを公共の電波をつかって教えてくれた。あれです。

この行い一つで私がどれだけの災難に見舞われるか。
過去ログを見て頂ければ分かると思うが、私が物を拾うとそれに伴い様々な災難が降りかかる。これが私の気のせいであればありがたいことであるが、一度として例外がなかったのだ。そう、善行は私を裏切らない。逆フルスロットル型の因果応報が私をever放さない。私は交番を出た時をスタートとカウントし、これから起こる災難をきちんと見届け記録することにした。

今朝、家を出て交差点を渡りきったところでおじいちゃんの自転車が私にやんわり追突してくる。その先の交差点で、自転車三台と車が目と鼻の先で大惨事寸前で停止する。やばい!死ぬ!これ死ぬ!駅に着くと人身事故でダイヤ乱れまくり。
「今日は大好きなS先生の授業なのにな。さもなくば遅刻どころか、無事たどりつけんかもしれんな。」
だが、不思議なことにこれ以降運気は好転し、どうしたらそうなるのか全く理解できないのだが、私は遅刻せずに学校に着きS先生の授業に出ることが出来た。結局結論は先送りになった。

杉本美樹師匠はかつてこう歌った
「いいじゃないのさ 明日のことは スッポン芸者に まかしとき」と。