KCO「O-CRAZY LUV」

イメージ 1

TKの最後のシングルヒットってバブル青田の「ジーザス」だったのかな?
globeのケイコのソロプロジェクト借りてみた。2008年なので実質的に犯前TKの(もしくは、実行中の)ラスト作にあたるアルバム。ソロプロジェクトであってもプロデュースはTKだし、母体はglobeなのでその差別化に意味があるのかは疑問だが、要はマークのラップが入ってないglobeだ。このアルバムでTKがトライしているのはハードロック的なハードロックでないもの。デジロックのようでデジロックではないもの。此処に至ってまでまだ定まっていない収まりの悪い音だ(私はこの音をチャレンジだとか新機軸とは思わない)。このアルバムはあの悪夢の「globe2/pop rock」の再来であり、シーケンス殺しの何者でもない音だ。TKはなんでシーケンスを無くしたいのだろう?TKのサウンドがシーケンスを無くしたくらいで新たな輝きを得るとでも言うのだろうか?だとしたら、シーケンスに変わるもっと強い何かがそこに無ければならないはずだ。だが、TKはそれを用意していない。「globe2/pop rock」にしろこの「O-CRAZY LUV」にしろ惰性的なロックやハードロックをやってるだけでシーケンスに変わる何かはそこにない。退屈なだけの音楽だ。TKは一時期ステージ上でよくフォークギターみたいのよくわからないけどかき鳴らしてへらへらしていたけれど、キーボーディストとして出世したTKがそれを払拭したい意味がわからない。TKはショルキーだろ。ショルキー以外ないですよ。片腕にキーボード埋め込むくらいのキチガイであったならなんの迷いも生まれなかったはずなのに。結果としてそういう迷いが「hate tell a lie」や「恋するたびに傷つきやすく…」みたいな珍曲を生むわけだけど、もうだめ。あんな奇跡は今さら起こせない(つうか、この二曲はシーケンスは生きだからいいんだけど)。TKがシーケンスに変わる何かを開発したらそれはTK時代の再来を告げる起爆になりえるかもしれないけれど、シーケンスの無いTKが私の中であり得ない以上、悪あがきはしないで稚拙なシーケンスで私の脳を狂わせ続けて欲しい。