中森明菜「フォークカバーアルバム第二集」

このアルバムamazonでの評価がとてもよい。
ついに明菜様が民衆の心を鷲掴むようなカバー作を制作なされたのか?
ファースト歌姫と肩を並べる様なアルバムを作られたのか。
早速聞いてみた。
全十曲、定例のオープニング、エンディングは無し。
選曲はベタ中のベタ。中庸中の中庸。ひねり全くなし。
尾崎豊の「I LOVE YOU」をフォークと分類してしまう大らかさが現代のジャンル感覚だとおもうのだけど(近年チャートに登る音楽はすべからくJ-POPと思う様になってだいぶたった)もはやそこに執着するようなこだわりも無くなった。ジャンル議論は不毛。もはやこのアルバムがフォークとして機能しているかどうかもどうでもよく、出てくる音楽はすべからくJ-POPなのでそれはいたしかたない。
で、結局どうなのか。明菜様はこのアルバムで何が変わったのか。
それが特に変わっていない。
去年末のフォークアルバムと並列に聞いたら、たぶん区別つかない。
じゃ、なんでそんなにこのアルバム評価高いのか?

選曲・・・。結局そこか。ベタなのがいいのか。ひねりないのがいいのか。
みんな「歌い方が・・・」とか「アレンジが・・・」とか散々言っておいて
知ってる曲いっぱい入ってると「いい」事になってしまうのか。
私はこのアルバムに置いても変わらず「残念」とかいってる人の耳を信用するなぁ。

確かにこのアルバム特有のエポックもある。
誰もが目をひくのが中島みゆきの「悪女」だと思う。
明菜様が頑なに歌おうとしなかった同時代的な同質の性をもつシンガー。
明菜のみゆき解禁はけっこうでかいっす。仮にこれっきりになったとしても。
しかもこれの出来がけっこういい。
テンポのよさと歌詞の言葉の多さが、センテンスごとの明菜的歌唱解釈を入れ込む隙を無くして流れる様に流暢に聞かせる。
なるほど、悪女って意外に感情を込める隙がない作りになっているのねというのがよくわかる。これはいい。

「学生街の喫茶店」では皆さんがやたらお待ちかねしているらしい明菜様「咆吼ビブラート」をかましているけど、みんなほんとにこういう明菜様を熱望しているのかしら?往年を現在に投影するのは世の常だし勝手だけど、私は今の明菜様で十分だわ。とかく歌姫シリーズに関しては咆吼ビブラートは不要。

全体のアレンジはアゴギをメインに据えそれほどうるさくはないけど、もうちょっと柔らかい音でアコギ録れないのかなぁ。そんなテクニカルなアコギじゃなくてざっくりざっくりでいいと思うんだけどね。

あと、初回盤のジャケは常にこちらの想像を上回るひどさでいいかげん頭が下がります。