不毛地帯

小遊三似(以下・似)の63になるおじさんのことは何度か記していると思うが、今日追試が終わり一学期にも切りがついたので会うことにした。最初は夏休み前ということだったがお互いにそれほど積極的に会う気持ちも無く、先延ばしになった結果今日に落ち着いた。最初、今日は開いてるということだったので「試験が終わるのが午前中だから昼で」ということにしたら「0時半まで予定がある。そこから35分かかるから逆算して待っててくれ」という。曖昧にしたのがいけなかった。結局、私は炎天下の日暮里駅で30分待つはめになる。京成の出口はでぶっちょな警備員(175・140)がチャックの上を少し開けながらだるそうに警備している。風が吹き込んでは来るが屋外はさすがにきつい。「先に喫茶店入って待ってます」とメールを打って店内で待つことに。席に座りじゃりン子チエカルメラ兄が実はボクシング選手だったという巻を読んでいると似さんがふらふら店内を歩いている。「こっちですよ」と手を挙げると「窓際に席取った」とにわかに移動を命ぜられる。
こっちが「先に待っている」といっているのに「別の席を取る」。
似さんは不躾にこういう失礼なことを平気でする人だ。

これは以前、似さんの口から聞いた話である。

医者が椅子を二つ用意して、患者を招き座らせる。
座った患者に対し医者は
「こちらの椅子にかけなおして貰えますか」
と命令する。
これだけのことで医者と患者の上下関係が決定するらしい。

幼稚なトラップである。
心OFF対応で乗り切る私。「OFF THE WALL」
似さんはあいかわらずである。自分が今通っている学校がいかに素晴らしいか、辞めた学校(私が通っている)がいかに酷いか、そして、自分が学校でいかに特別待遇であるか、校長が素晴らしいか、先代がすばらしいか、その娘がすばらしいか、教師がすばらしいか、授業がすばらしいか、体制がすばらしいか、いやぁ、学校変わって本当に良かった。今の学校は施術者を育てる学校だが、辞めた学校(私が通っている)は資格とるだけの浅ましい学校だ。学校の風上にも置けない。というようなことを言っていたと思う。途中、学校関係者がみんな医者みたいな話になっては「別にその分野でプロフェッショナルであれば医者とか全く関係ないんじゃないですか」といってみたり、娘が学校継ぐの継がないのみたいな話になっては「親族経営は腐敗の始まりですね」といってみたり、神秘的な力による治療をするという話に関しては「私の想像力が足りないのか全く理解できませんし、そういう施術はリハビリやスポーツ業界では通用しないでしょうね。」といい、あなたの学校にはない様々な施術技法が習える言う話では「結局、技術や技法ではなく、患者にとっては治るか治らないかだけですからね」というふうに対応。結局今までで最短の一時間半で終了した(うち、待ち時間三十分)。最後、駅でトイレに行くから待ってくれといわれ(嫌がらせだろう)、出てきて即解散した。やっぱり私、嫌われてるんだろうな。いくら年上とはいえ、こんな器の小さい男に嫌がらせされながら会う必要ってなんだろう?60過ぎて自意識のコントロールが間に合わない男の哀れさを反面教師に自分の器を肥やせってことなのかしら?いや、私は男の器なんかには依存しない。信ずべきは母性。マザー。原子心母。バギズム。瀬戸内寂聴
瀬戸内寂聴中野サンプラザ説法ライブ四千円って、どこか間違っている気がする。

帰りの山手線で相撲部クオリティの男子学生がお互いを「ドガーーン バギューーーン ジュドドドドドドーン」と手で爆撃しあう姿を見て萌やされた。