藤圭子「BEST COLLECTION」

宇多田のデビューにあやかってか99年頃にボックス、ベスト数種とオリジナルアルバム数枚を復刻した宇多田ママこと藤圭子なのだけど、それ以降芳しくないね。ベスト類に関しては以降数種でているけど、こんなのは月並みなものなので特に評価するものでもない。当時も「裏方」呼ばわれされていたけど、その後の空港で現金没収だの、てるざねと再離婚など裏方というよりスキャンダル面ばかり目立ってもはや引っ込むより仕方ないといった感じ。そんな現在の藤圭子はなんとも淋しい状況にある。
 で、藤圭子のデビュー当時のアルバムのジャケに「どうだ!」のごとく踊っていたあるキャッチコピーがある。
「演歌の星」
演歌、なのである。私は藤圭子って歌謡曲、もしくはムード歌謡の方かと思っていたのだけど、自ら名乗っていたのは「演歌」なのである。ギターをかかえてうつむくようなジャケは、当時全盛のフォーク的な要素も少しは狙っていたのかもしれないが、確実に流しのそれである。流しの演歌。しかも「星」。それは新たなる演歌の胎動を自ら告げる「演歌の新星」としての藤圭子と言う意味だったのだろう。確かに当時の藤圭子のチャートリアクション、売り上げなどは尋常ではなかったらしい。特にLP単位でこれだけのセールスを売り上げた「演歌歌手」っていうのは空前絶後ではないだろうか。そういう意味では演歌のニュー・ウェーブ的な立ち位置でもあったのかもしれないが、その状況も捉えられ方も、そして楽曲そのもや、彼女の歌い方さえも「演歌」とはまた違うもののようにしか聞こえないのも事実。この間の深夜便で五木寛之がこの70年代の幕開けの頃の音楽状況のことを語り、藤圭子を浅川マキ、カルメンマキと同じ文脈で捉えていたのを考えると、藤圭子って当時の若者的やさぐれ感、厭世感、諦念感みたいなのを濃厚に漂わせて多分に世情とリンクするような音楽だったのだろうと思う(じゃないと何週連続一位とかミリオン越えとか無理だろうよ)。だけど、なんだろう、確かに藤圭子の唄って情念感じる部分もあるけど、決して暗いとか重いって思えない。言うほど思えない。これは私が次世代の人間だからなのか、もっと暗い音楽を聞きすぎたからからか分からないが、流行歌そのものがもつパワーは感じるが「圧倒的暗さ」「情念の世界」って感じじゃないよね。キャッチーだし、明瞭だし、曲調もマイナーじゃないし。なんか暗いって言い過ぎって感じ。
そんな一時代を築いた藤圭子も意外と失墜は早く、長くは天下は続かなかったわけだけど、これは流行歌の宿命みたいなもので、今思えば当時のヒット曲の方がいまより健全な気がする。黄金期は分かるが全体としての活動がどうも見通せない藤圭子なので、改名してちょっとやってたときも含めて一度きちんとカタログまとめてくんないだろうかと思ったりもする。