やまがたすみこ「オルゴール」

そいえばさ、一昨日、地下鉄乗ってたら小竹あたりで桂文治師匠がホームで電車待ってたんだけど、その傍らにスキンヘッドに帽子かぶったメガネの青年が居たのね。付き人かな?って思ったんだけど、付き人にしてはカジュアルというか、おしゃれなの。で、ほっぺたふっくらしてるの。

もしかして、柳亭芝楽師匠?だったかもしれない。はっきりはわからなかったけど。
それにしても桂文治師匠は普段から、噺家って感じの佇まいだったわ。
意外と普段から噺家っぽい恰好している噺家って少ない気がする。
そして芝楽師匠と初のニアミスだったかもしれないのよドキドキよね。

3/1は末廣亭に代演、文治師匠も出てるからこれはガチかも!

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51YokwY7tCL.jpg

75年リリースの五枚目。おおかたのアレンジを柳田ヒロが担当。初期のユーミン的ニュアンスと黎明期ロックの一番ライトな部分を抽出したような感じのわりとアシッド目なフォークロック的アレンジ。こういうアルバム聞くとほんとに、やまがたすみこってつかみ所無いよなって思ってしまう。いや、核として常にあのゆるぎない声があるにしても、ルーツとして初期のカレッジフォーク時代は別としても、それ以降はどれもサウンドが借り物のような感じがしてしまう。どれが一番相応しいかとか、私にはわかりませんよ。このアルバムもアレンジはとっても優れています。「サマー・シェイド」おおいにけっこう。大好きなアルバムです。でも、結果としてそういう変遷の不確定さゆえに活動の全体をイメージした時に「これ」というものがなかなか浮かびづらくなってしまったような気はする。「そんなこといいだしたら80年代になって音が様変わりしたミュージシャンなんていくらでもいるでしょ?」と言われるかもしれませんが、それはまた別の話なのよ。ディケイドによる変更とアルバム毎に音のジャンルカラーをレイヤー的に変えるのは違うから。やまがたすみこはおおまかにカレッジフォーク→フォークロック→シティポップ→ニューミュージックみたいな、よくよく見ると案外ありがちな変遷ではあるけど、それでもあくまで歌謡曲的な方向には行きそうで行かなかったというか、歌謡曲的な泥臭さはこの人の声では出せなかったよね。そういう意味で私は「フライング」は駄作だったと思っている。



Amazon.co.jpで買う