コサキン終了

コサキン、普通に終わったなぁ。いつも通り終わった。
この先リスナーにふりかかる不幸を微塵も滲ませず終わった。
コサキンの終了は伊集院が言うとおり、投稿型深夜ラジオの指標の消失であり、
また、今後築かれるはずだった未来の喪失でもあった。
これはリスナー以上に現役パーソナリティにとって脅威に違いない。
今後深夜ラジオの長寿番組はますます生まれづらい状況になり、
コサキンの先に至るような番組はもう出ないかもしれない。
私も全く想像できない。パンドラの箱はもう閉じてしまった。
構成渡辺くんの童貞喪失と共に深夜ラジオの悲劇として永遠に語られるだろう。

ストリームに関しては、小西克哉をメインパーソナリティに抜擢したTBSの手腕は流石だったとつくづく思う。小西さんは単体では野獣なのに、いざ聞き手となると話し手の闘争本能を燃え上がらせてしまう癖があり、たびたび話が危うい脱線をする。そこがストリームの醍醐味であり持ち味であった。話し手の本音を引き出すのに長けていた。ストリームにとって「諸刃の剣」となったのがpodcastであろう。ラジオというのは流れたらそれきりという特性があるが、podcastは残ってしまう。それゆえ問題が拗れたり誤解が増長したりすることは容易に想像できる。podcastが無かったらこういう形での終了は無かったのではとさえ思う。時事を扱う番組のpodcastは禁忌というのをTBSはストリームから学んだのでは。いい番組だったし終わるのは残念だけれど番組以上に見えない何か(責務みたなもの?)がふくらみつつあるのを聞き手として感じていたし、TBSとしては目の上のたんこぶだったのでしょう。
でも、私にとっては「やるまん終了」の方が存在としては大きかったです。「やるまん終了」で文化放送は持ち味もアイデンティティも失ってしまったし。