渚ようこ「ノヴェラ・ダモーレ」

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現代の昭和歌謡もの的ジャンル、結構苦手なんです。
昭和歌謡は好きなのに。何故でしょう。
まず一つ、決定的な理由は「自作自演」という点でしょうか。
「自作自演」とひとえに言っても厳密に自作自演の人って少ないですね。
この渚ようこさんも、阿久悠などいわば昭和の生き証人的な作詞家を据えることによって自らの音楽に地脈を通わせている。
この場合の「自作自演」とは、全ての作品を自分で作り演じるという意味ではなく、
昭和的な雰囲気を自作自演しているという点でしょうか。
「まるで」とか「さながら」といったみたいに。
でいて、それはもう、仕方ないことなのですが、その中にはどうしても現代的なニュアンスや今的な要素が介入してしまう。これが、意図的に入る分には確信犯であるが、大体の場合無意識に入ってしまうのだ。仕方ないけど。だって、現代の人なんだもの。でいて、それは歌詞やメロディや歌唱法的な部分で言うよりは演奏家の息づかい、そう、演奏家の息づかいに明確に現れてしまう。一番難しいのはほんとに、歌詞でもメロディでもなく、演奏家の息づかいをいかに押し殺せるか。スタジオミュージシャンなり、レコード会社お抱え楽団になりきれるか、である。結局ここが徹底しきれない、その一点が越えられない限り昭和歌謡の本質的な部分は再現出来ないのではないかと思う。バックの演奏なんかお飾り程度でいいのに。出しゃばり過ぎなんだよね。だから緩くなるんだよ。それを今時だ、かっこいいんだというのならそうなのでしょうけど、私から言わせると、それがどうしても踏み越えられないハードルだったりするのだ。
もっと無骨で質素な現代昭和歌謡が聞いてみたいものです。お洒落とかは二の次です。
期待はして居るんですから!